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ラオスの教育と現状 

ラオスにおける学校教育は,就学前教育(幼稚園など),初等教育(小学校),中等教育(中学校・高校),高等教育(大学など)の4段階に分かれる。小学校5年,中学校3年,高校4年の5・3・4制をとっており,大学は専門により2~7年の幅がある。

該当年齢は就学前教育の保育園が0-2歳,幼稚園が3-5歳,初等教育が6-10歳,中等教育が11-16歳,高等教育が16歳以上である。後期中等教育が4年となったのは 2009年度からであり、2015年までに現在の義務教育である初級教育(5年)に前期中等教育(3年)に加えて義務化する目標が掲げられている。政府は現在でも初等教育の発展に高い優先順位をおいている。しかし、現場では格差がみられるのが現状だ、小学校入学年齢は6歳と前述したが、必ずしも6歳で入学するわけではない。地方の農村地帯はもちろん、首都ビェンチャンのいくつかの地域でも仮に6歳とみなされてもさまざまな原因で入学できない子供がいる。北のほうにあるシェンクワーン県の小学校では、11歳で2年生、14歳で5年生の子供が何人かおり、朝会で背の順に並ぶと非常に目立っていた。理由は、親に代わって家で幼い弟妹の面倒をみていたため入学できなかったのである。学校に行きたくても、近くに小学校がないという事情もある。ラオスの山岳地帯では山を越えて通学せざるを得ない村もある。自転車で通う生徒もいるが、買う余裕のない子供は1時間ほど徒歩で通学する。子供たちの中には、体力が備わるまで入学するのをためらったり、入学しても通学の困難さから学校に疎遠になる者がいる。

ラオスは様々な教育の問題を抱えており,それを解決するには長い時間をかけて一つ一つ問題と向き合っていかなければならない。特に多民族国家であるラオスでは都市と地方の初等教育の格差が激しいことに着目し,都市と地方の小学校に基づいて,その現状を以下に述べたいと思っている。

生徒数が多く,4年生は古い竹作りの校舎で授業を受けている。教員は1クラスに1人付いており,完全校である。小学校の隣には中学校の建物が隣接していた。教科書は1人の生徒につきラオス語,算数,理科社会の合科の3冊ずつ持っている。図書室はなく,教室にも本は一冊もない。恵まれた教育環境にはあるが,子どもが教科書以外の本に触れる機会が少ないと感じる。

ある女性の教員は自分の子どもを片手に抱えながら授業を行ったこともある。他に代わる教員がいないため,十分に育児休暇も取れない状況にある。校舎には図書室もトイレも設置されていない。しかし,地方では珍しく就学前教育を行っている。4年生を教える教員の月給を聞いたところ,50000kip(約5USD)であった。低所得だが,他に働き口もなく,村民に頼りにされているため教員の職を離れられない。小学校を卒業したのみ学歴を持つ教員が多い。地方の村全体の経済水準が低く,教育のために経済的な負担ができないようだ。子育てをしながら授業を行うというのは日本社会では考えられないことである。そのような教員には育児休暇を設け,せめて代わりの教員を雇うぐらいの経済力が地域にあればいいのだが,現実的には難しいのであろう。

また,ビエンチャンから離れた地方と経済水準は変わらないにも関わらず,NGOの支援がほとんど入ってきていなかった。NGOや海外政府は都市部から遠く離れた地域に目が行きがちで,その間の地域は支援の死角になっている。政府による村の状況調査は難しく,その県や郡の教育局が直接NGOに支援を申請しなければ,支援は始まらないという状況である。多くのNGOや海外政府の支援に頼っているラオスにおいて,自国の情報を詳細に収集することが求められる。

小学校若い教員に「なぜ教員になりたいのか?」と聞くと「ラオスには教員が足りない。学校に行ける子どもも少ない。国の発展のために少しでも多くの子どもに勉強を教えたい。」という回答がほとんどである。彼らは毎週1回遠く離れたビエンチャン市内にある教員養成学校に通い,訓練を受けている。

ある中学校は校舎が元病院だったため,学校用の作りになっておらず,それぞれの学年にかろうじて教室を用意しているだけである。より専門的なことを学ばなければならない中学校においては設備が不足しすぎている。もちろん図書館や音楽室はない。学校建設の必要性を感じた。また,本来は専門科目のみを教えるはずの中学校教員が,教員不足のため,全ての教科を教えなければならず教える内容の限界となる。教員になるために教員養成学校に通う学生は多いが,都市部に留まり地方には帰ってこない者も多い。地方の教員不足はラオス全体の教育水準の底上げに不可欠であり,早急に整備しなければならない課題である。

地方の小学校の内,高学年に上がれる生徒は少なく,その理由としては成長に伴い,家庭での労働力となるため,親が学校には行かせず家で仕事をする。特に雨季は農業の季節なので,学校に来る生徒が減る。また、学校まで遠くて通えない生徒が多い。雨季には通れそうにない道が続き,生徒は通学を諦めてしまうようだ。

私は学校建設現場で遊んでいた子どもに挨拶をしたが,都市部の子どものように挨拶を返すことなくじっとこちらの様子を覗っていた。髪も洋服も汚れており,下着も着けていない。中には裸の子どもがいた。村は日用品のような基本的なマテリアルさえ揃えられない経済状況にある。もちろん子ども達は学校で使う教科書やノートを持っていない。毎週金曜に教員が会議を開くようだが,基本的な解決のために何を話し合っているのか疑問を持ってしまう。生活に必要な最低限の物もない村において,教育に力を入れることは非常に困難である。まずは経済水準を上げることから考える必要があるだろう。

以上、ラオスにおける教育の問題点を述べた。それぞれの小学校にハード,ソフト面両方の問題が多くあることを現実として確かめることができる。始めに書いたラオスの教育政策は国民の教育に反映しているのか疑ってしまう。特に深刻な問題として,

①学校に十分な設備が行き届いていないこと

②教員の不足,教員としての能力の欠如

③生徒の進級と通学が困難なこと

④家庭の経済水準が低く,子どもに十分な教育を受けさせてあげられないこと

4点が考えられる。他にも民族間の教育格差などが問題となっているが,フィールドワークでは確認することができない問題だったのである。4点について考察していきたいと思う。

①ラオスの学校ではまだまだ教材がもの足りていないことが感じた。校舎を建設すれば,次のハードの問題として教科書の不足が挙げられる。特に地方の小学校では家庭に教科書を買う経済的余裕さえないため,何人かで一緒に見るか,まったく教科書を使わずに授業を行っている。社会主義国ということもあり,教科書は政府の印刷局しか発行することができない。民間の出版社もほとんど存在せず,国際NGOや国際機関の支援に頼らざるをえない状況である

様々な国際協力機関が教科書支援を行っているが,ラオス政府が各小学校に配布できるのが最もラオスのためにはよい。(国自体に予算が不足しているため,現段階では不可能ではあるが。)スクールクラスターを利用し,本を地域で共有することは今後も重要な教材源になっていくであろう。しかし,国にばかり頼るのではなく,学校自身の努力が直接的に教育に反映する。あるラオス国内の小学校では教員が様々なNGOに呼びかけて本を集め,本棚も自分たちで作って本を保管している。少しでも多くの知識を子どもに吸収してもらいたいという教員の思いが多くの国際協力機関の支援に繋がっている。政府に頼れない状況の中で,教員や保護者の自発的な取り組みが教育状況の改善に結びつく。小学校に教材の重要性を気づかせ,学校自身もそれに応えていく相互努力が必要であろう。

②教員の不足については殆ど地方の小学校である。ある小学校では幼い子供を片手に授業を行っていた。そのような小学校は他にもたくさんあるだろう。育児休暇を取れるようだが,代わりに授業ができる教員がいないためやむを得ず授業をしている。このような状況を打開するために教員の増加,教育制度の整備を地域ごとで行っていくことが重要になる。給料も地域でのばらつきがあるため、ラオス人にとって教員はいい職業とは言いがたいのが現状である。職業として社会的に認められるためには、整った設備の下で安定した収入が得られるような環境作りが最優先課題となる。

③南地方のサラワン県、生徒の通学が困難なことである。国道を外れた道なき道の果てに小学校がある。これでは体の小さなラオスの子供は通えるはずがない。交通の整備、スクールバスを用意するなど、インフラの整備も課題が多い。インフラのようなハードの側面は他国や、NGOの支援が求められる。

④経済状況が悪くても、学校に行って勉強すれば子供に明るい未来が待っていることがわかれば、親もなんとかして学校に行かせるだろう。しかし、ラオスには学校を卒業した後の子供の受け皿がない。そのことを親は知っているため学校は何の役にも立たないと思ってしまうという根の深い問題でもある。米や野菜で教員の給料を払うのにも問題がある。きちんとした賃金を払える政府の財政改善はもちろん誰もが望むことだが、支援で教員の給料を払うことはできない。支援とは何なのか、本当にラオスのためになるのかと考えさせられた。

ドウアンピラー プッタワン(ラオス在住)

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